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コラム 「生きているということ」

『こもりびと』というドラマが11/22(日)にNHKで放送されました。実際の出来事や証言に基づいて作られたそうです。ご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。武田鉄也演じる末期の胃がんで余命短い父親と、同居で10年以上ひきこもっている40歳の息子の物語。

『俺が死んだらあいつはどうなる』と、息子のひきこもりをなんとか解消させるために父親が動き出します。しかし、ひきこもりは『自己責任』『甘えている』と考え、『みんな必死に我慢して頑張っているんだぞ』など「普通に人並みに生きること」を押し付ける父親。

就職氷河期に正社員になれず、結婚や仕事がうまくいかないことを父親から『家族の恥さらし』『生きている価値なし』などと言われ、それをきっかけにひきこもった息子。

当然ながらうまくいきません。

ところが、SNSでの偽名のやりとりを通じて息子の気持ちを知るようになり、父親の心に少しずつ変化が生じてきます。

終盤、父に向かって息子が激しく思いをぶつけました。『俺はそんなに生きてる価値のない人間なの?そんなに生きてちゃダメなの?(親の)期待を裏切るたびにビクビクしていた。生きてちゃいけないんじゃないかって、いっつも思ってた』と。

自分なりに息子を大切に思ってきた父は驚き叫びます。

『生きててくれ!それだけでいいから!』


昨今、中高年のひきこもりが「8050問題」という名称で、社会問題として語られるようになりました。社会全体で考えるようになったことはとても良い流れです。しかし、それは一括りで語られることではありません。

人から必要とされ、誰かの役に立てることは、その人に生きる意味と喜びが与えられることでしょう。

でも、人が生きているということは、ただそれだけで価値があるもの。そのことを、確信できる社会でなければならないのです。



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